敏満寺遺跡
- 関係
- 戦闘・軍事
- 地域・時期
- 滋賀・戦国/永禄5年~元亀3年(1562~1572年)
- 分類
- 寺社・宗教
- 位置精度
- 中(広域遺跡・歴史範囲の代表位置)
浅井長政と織田信長の攻撃で衰退した寺院遺跡です。
位置について:広い寺院遺跡の代表位置です。遺構範囲や安全な進入経路を示すものではありません。
Azai clan
小谷城を本拠とした浅井氏の支配、国境防衛、支城網、織田方との攻防を既存地点からたどります。
墓所、碑、再建建物、代表地点は、本人の当時の居所や事件範囲そのものとは限りません。各地点の位置注意を確認してください。
浅井長政と織田信長の攻撃で衰退した寺院遺跡です。
位置について:広い寺院遺跡の代表位置です。遺構範囲や安全な進入経路を示すものではありません。
六角氏と浅井氏の対立が野良田の戦いへ続いた城跡です。
位置について:城跡を戦国期争乱の根拠地点として表示します。野良田の戦場全体や境界を示すものではありません。
浅井氏が江濃国境を守るため利用した山城です。
位置について:山城の代表位置です。城域、登山口、安全な進入経路を示すものではありません。
織田方が浅井氏へ圧力をかける湖北攻略拠点となった支城です。
位置について:山城の代表位置です。城域、登山口、安全な進入経路を示すものではありません。
浅井氏家臣阿閉氏の離反が小谷城包囲の転機となった山城です。
位置について:山城の代表位置です。城域、登山口、安全な進入経路を示すものではありません。
浅井氏三代の本拠で、天正元年に織田軍の攻撃で落城しました。
位置について:国指定史跡の代表位置です。広大な城域、登山口、安全な進入経路を示すものではありません。
浅井氏に仕えた国人領主下坂氏の居館跡です。
位置について:国指定史跡として確認された館跡の代表位置です。私有地や立入条件については現地の案内に従う必要があります。