明保野亭跡
- 関係
- 事件
- 地域・時期
- 京都・幕末/元治元年6月10日(1864年)
- 分類
- 事件・遭難
- 位置精度
- 中
会津藩士と新選組の探索が土佐藩士負傷へ至った事件関連地です。
位置について:京都市個別ページのDMSを変換。ただし同ページは明保野亭旧地が石標よりやや北東と明記するため、周辺代表点として表示します。
Aizu Domain
京都守護職就任後の政治・警備拠点、事件関係地、伏見の宿陣地、戦死者墓所を結ぶテーマです。
墓所、碑、再建建物、代表地点は、本人の当時の居所や事件範囲そのものとは限りません。各地点の位置注意を確認してください。
会津藩士と新選組の探索が土佐藩士負傷へ至った事件関連地です。
位置について:京都市個別ページのDMSを変換。ただし同ページは明保野亭旧地が石標よりやや北東と明記するため、周辺代表点として表示します。
会津藩・新選組など旧幕府軍が新政府軍と対峙した伏見の代表地点です。
位置について:京都市個別ページのDMSを変換。戦場は広範囲であり、座標は桃陵中学校内の石標を代表点として示します。
会津藩先鋒隊が鳥羽・伏見の戦い前日に宿陣した場所です。
位置について:京都市個別ページのDMSを変換。現在の建物は幕末当時のままではなく、改築・建替えを経た伏見別院前の石碑位置です。
会津藩主松平容保が就任した京都守護職の役宅跡です。
位置について:京都市個別ページの世界測地系DMSを小数6桁へ変換。京都府資料も現在の府庁敷地を守護職上屋敷跡としています。
在京中の会津藩関係者と戦死者を葬る墓所です。
位置について:京都市個別ページの墓所前DMSを変換。金戒光明寺公式ページが寺域内の会津藩殉難者墓地の現存を確認しています。